2010年11月11日木曜日

片山正通 展覧会




仕事帰りに、インテリアデザイナー片山正通さんの展覧会@銀座POLA MUSEUM ANNEXに行ってきた。


この人の仕事っぷりが好きなんです。


自分個人のプライベートでは、

ヨーロッパ調であったり、

アンティークというかヴィンテージというか、

人肌感のある感じが好きだけれど、

そういった個人的な好みとは違うのに、

彼の手がけたお店に行くと、

一言で言うと、


“プロに魅せられちゃったな”


と感じさせられる。



まだ彼が手がけたお店などに行ったことが無いならば、

是非一度足を運んで感じてみてもらいたい。




今回の展示会はちっちゃなものだが、

彼が店舗デザインする際に重視している

という店舗模型が飾ってある。

入場無料なんで、

こちらもお時間ある方はどうぞ。

2010年11月9日火曜日

僕達の元気、日本の元気 ①

最近の日本の空気はやっぱり“暗め”ですよね。

しかし、外国の方の話や、悲観的に見ない視点からだと、

急に日本が自ら“暗く”ならなくても良いと確信できることが沢山ある。



ネットで見かける記事には、

そういう話も沢山あります。

そういう記事を読む度に、

「世間の人々は知っているのかなぁ」

と思うことが間々ある。



自分が見つけた良い話は、

出来るだけ多くの人とも共有したい。




そこで、「僕達の元気、日本の元気」と銘打って、

私がそういう記事を見つけたら、

このblogにUPすることにしました。

まさに僕達の元気は日本の元気。

皆さんの何かしらの糧となれば。



それでは、初回はこちらです↓
池上彰さんに聞く! 日本が国際貢献にお金をかける意味ってあるんですか?
※日経ビジネスONLINEの記事なので、何かしら登録する必要があるのかもしれません。写真付き記事や、連載の続きが見たい方は各自登録を。このblogで読むよりずっと読み易いです。以下は初回記事。


『世界を救う7人の日本人』発売記念連続インタビュー【1】

 この10月、国際貢献の教科書と銘打たれた書籍『世界を救う7人の日本人』が発行されました。著者は、ジャーナリストの池上彰さん。国際貢献の現場で活躍する日本人専門家へのインタビューほか、紛争の傷跡残るスーダンや、日本の農業指導で米作りに挑むウガンダの現場に足を運び、国際協力機構(JICA)のトップ、緒方貞子理事長との対談を掲載した、ライブ感あふれる「教科書」です。
 国際貢献、と聞いても、ちょっと遠く感じる読者の方も多いでしょう。そこで池上さんに改めて日経ビジネスオンラインの読者のために、国際貢献の意義についてお聞きすることにしました

(聞き手は、日経ビジネス記者、山根小雪)

ーー 今回の書籍では、国際貢献の現場を取材するべく、スーダンやウガンダに足を運んでいらっしゃいますね。海外の国際貢献の現場を歩いたのは初めてですか?

池上 実はその前に1回あるんです。2000年に『そうだったのか!現代史』という本を書くために取材でラオスを訪れたとき、山岳民族のモン族の村で活動する国際協力機構(JICA)の方々の方々に偶然出会いました。そこでボランティアを行っていた青年海外協力隊の人たちが「週刊こどもニュース」をかつて見ていたとのことで大歓迎してくれたんです。日本の国際貢献の現場を歩いた初めての瞬間ですね。
池上 彰(いけがみ・あきら)
1950年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者として経験を積んだ後、科学・文化部記者を経て、報道局記者主幹に。 1994年4月より11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、さまざまなニュースを子どもから大人までが理解できる、丁寧かつ独創的な解説を行い、人気を獲得する。2005年3月NHKを退局。以後フリージャーナリストとしてテレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。著者に『伝える力』(PHP新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』(角川SSC新書)、『そうだったのか!現代史』(集英社)など多数。(写真:木村輝)

ーー 国際貢献、と聞いて思い出すのは青年海外協力隊ですが、一般のイメージは「海外で井戸を掘っている」という先入観からなかなか逃れられていないような気がします。近年では、日本の国際貢献の大本であるJICAが事業仕分けでの仕分け対象としてニュースになっていましたし…。日本国民の税金を使って行う国際貢献、本当にどれだけ価値があるんでしょうか?

池上 国際貢献の意義について、ですね。結論から先に申し上げますと、必要です。それでは、なぜ必要なのか。それをこれから順番に説明していきます。

 まず、私が改めて言いたいのは、もう一度自分の足で、自分の目で海外を歩き、見る機会を多くの人が持ったほうがいい、ということです。ウェブで情報が簡単に得られる時代だからこそ、青年海外協力隊やシニアボランティアのような制度を通じて、日本人が知らない世界の知らない土地を肌身で知っていく。それ自体にとても価値がある、と思います。

ベトナムでは、若者たちが昼休みに全員本を読んでいた

 2000年当時の話に戻りますが、ラオスの前に私はベトナムを訪れました。
 二つの国の現場を歩いて見て得た一つの教訓は、「その国がこれから発展するかどうかは、若者が本を読んでいるかどうかを見れば分かる」。

ーー どういうことですか?

池上 ベトナムの首都ホーチミンを訪れたのは真夏の一番暑い時期でした。お昼時になると、みんなお店や家に引っ込んでしまう。しーんと静まり返っている。どうせ昼寝でもしているのだろうとお店の裏を覗いたら、違いました。

 木陰で店番の若者が一心不乱に本を読んでいる。1店だけじゃない。それぞれの店の若者たちがみんな、昼休みを利用して読書にいそしんでいる。「すごいな、これは」と思いました。

 さらにその後、市街の大きな本屋に立ち寄ってみました。本屋さんはその国の文化事情や流行が見えますから、必ず入るようにしています。すると、目の前で万引きした若者が捕まって大騒ぎになっていました。

 彼が何を万引きしたか? 
 英語の本なんです。お金はなくても勉強したくて万引きしたわけです。万引きはもちろんほめられる行為ではありませんが、そこまで本を読んで知識を吸収したい、というベトナムの若者たちの知的渇望を図らずも目の当たりにしたわけです。

 そのあとベトナムからラオスに行きました。首都のビエンチャンの市内を回ったのですが、そもそもまともな本屋さんがない。現地の人に聞いて探し回ったのですが、結局海外からのバックパッカーが読み終えたペーパーバックばかりを集めた古本屋がひとつあっただけでした。

 なおもしつこく本屋を探そうと市場を歩いたら、一角で学校の教科書を売っている人がいました。あとで現地に在住する日本人の方に聞いたら、ラオスは一党独裁政権で愚民化政策を採っており、教育には熱心じゃなかったそうです。最低限の読み書きだけ教えたらおしまい。街中に本屋さんもない。「ああ、この国の発展はまだまだ先のことだろうな」と感じたわけです。

 それから10年たちました。ベトナムの発展ぶりを見てください。ものすごい成長を遂げています。私自身、ベトナムは成長するだろうと予測はしていたのですが、さまざまな数字以上に、現場で目撃した「一心不乱に本を読むベトナムの若者たち」の姿こそが一番の確信材料でした。

 1960年代までの日本は、まさに私が見た2000年ごろのベトナムと似た空気がありました。当時、日本を訪れた外国人が「電車に乗ると、日本人はみんな本を読んでいる。ここは凄い国だ」と驚いている。ベトナムでの私の反応と同じです。

 男も女も老いも若きも、みんなが本を読んでいる国は発展する。現場を訪れて感じなければ分からないことです。

 ジャーナリズムの世界だけではない。あらゆるビジネスや政治や学問の世界でも同じことが言えると思います。その意味でも、まず国際貢献を通じて日本人が外に出る、ということに改めて意義を見出したほうがいいと考えています。

日本の国際貢献が目立たないのは「成功しているから」

ーー とはいうものの、日本の国際貢献については肯定的な報道をあまり見かけないですね。果たしてちゃんと機能しているのか、疑問に思う向きは少なくないと思います。

池上 確かに70年代から80年代前半にかけては、「日本の援助はカネを出すだけだ」と言われたことがありました。でも、その後、日本の国際貢献が機能しているのかどうか、メディアがちゃんと検証したことがあったでしょうか?

 今回、国際貢献の現場を取材して、専門家にお会いして、現地の人々の声を聞いて、改めて思ったのは、「日本の国際貢献はカネだけ」というのは大いなる誤解である、ということです。

 むしろ実態は逆の場合が多い。少なくとも私が取材したスーダンやウガンダでは、日本の国際貢献はきっちり現地で機能していました。

 それでは、なぜ日本の国際貢献が目立たないのか? 欧米の活動のように華々しく報道されないのか? それは皮肉にも、日本の国際貢献のやり方が、最も現地にカスタマイズされた「理想的な方法」で進められているからです。

ーー その「理想的な方法」とは?

池上 国際貢献の現場で活躍している日本人の方々が共通しておっしゃっていたことです。井戸でも、橋でも、学校でも、病院でも、日本の援助で作ったものを、「現地の人々が自分たちで作ったんだ」と思わせること。これが目標であり、理想である、と。これが最高の援助の形なんだ、と。

 なぜだかわかりますか?
 現地の人が「自分たちで作った自分たちの施設だ」と思ってくれない限り、その施設は援助した先進国の人々がいなくなったとたんに、メンテナンスされずに打ち捨てられていくからです。

 たとえば、途上国に援助で病院を建ててあげたとしましょう。建物を作って、医療用品を買い揃えて、現地の自治体に「はい、できました。どうぞお使いください」とただ渡しても、あっという間に病院施設は使いものにならなくなります。なぜならば、現地で足りないのは施設だけじゃなく、その病院そのものを使いこなすノウハウであり、人材だからです。ハードをいくら揃えても、ソフトがなければ動きません。

 どうすればいいか。現地の人たちと同じ目線に立って、病院の運営の仕方を一緒に立ち上げていくわけです。

 その実例をスーダンの首都ハルツームにある病院で目の当たりにしました。こちらの病院は80年代初頭、日本のODAで建てられたものです。ハードは古びており、更新の時期に来ています。動かなくなっている設備もあります。

 けれどもソフト面で見たときに病院はちゃんと機能している。多くの患者たちを今も治療しています。ハードも、ガムテープで修繕して、だましだまし使っていますし、何より病院内はとても清潔に保たれています。

 なぜこの病院は打ち捨てられずに機能してきたのでしょうか。設立当時、日本から来た援助スタッフや専門家たちが、「病院を運営するのに必要なこと」を一から十まで現地の人たちと一緒にノウハウ化して、彼らに継承していったからです。

 毎日掃除を欠かさないこと。定期的に機器のメンテナンスを行うこと…。こちらの病院では、週に1度の休業日を設け、設備のメンテナンスと整備や清掃を徹底的に行っています。30年近く一度も欠かさずに。もちろん、すべて現地のスーダンの方々がオペレーションをしています。

 この病院を寄贈したのは日本ですが、今ではすっかりスーダンの国民の施設となっている。他人から貰っただけのものだと、どうしても扱いが雑になりますが、自分のものだと認識したら大切に扱う。それが人間というものです。

 というわけで、スーダンのこの病院は日本の国際協力の成功事例といえます。けれども成功したのはスーダンの現地の方々が「自分たちで立ち上げて運営しているんだ」という当事者意識を持ったからです。

 国際貢献の世界で日本の影が薄い、と思われがちなのは、皮肉なことに日本の援助が成功しているからなのです。ここに国際貢献の評価の難しさがあるわけです。

―― カネだけ出してヒトは出さない、どころか、むしろヒトを出すのが日本の国際貢献の新常識だったんですね。意外に知られていない事実です。でも、欧米の援助活動の影に隠れてしまうというのが、たしかに皮肉ですね。

日本の援助方法は現場での「カイゼン」

池上 その通りです。欧米と比較すると、国際貢献の方法論が日本とは全然違うんですね。欧米の援助は、「今からこんな援助をします」という具合に、極端にいうと「上から目線」で予定を決めてしまい、その援助が根付くかどうかにかかわらず終わりの期日をびしっと引きます。トップダウン方式ですね。

 日本の援助はまったく逆でボトムアップ方式です。現地のコミュニティーにスタッフが混ざって、何が困っているのかを丁寧に聞いて、必要なやり方を一緒に考えていく。日本人的なキメの細かさが、現地の信頼を集めています。

 ボトムアップで現地の人たちに混ざりながら援助活動を行うから、成果を着実に上げているのに目立たない。これが日本の国際貢献の問題です。

 ただ、アフリカに関していうと、日本の援助は非常に歓迎されています。今回取材をしたアフリカの大半の国々は長年欧州の植民地でした。そんな歴史があるだけに、今でもアフリカの人たちにとって旧宗主国である欧州諸国に関しては特殊な感情を持ち合わせています。一方、日本はアフリカと政治的な関係が歴史的に薄い。南北問題も存在しない。だからこそ、安心して助けてもらえる、という印象がアフリカの側にあるのは事実です。

 現代における欧米の国際貢献は、かつての「宣教」に近いところがあります。蒙昧な人々を変えてあげようという、文字通り啓蒙と布教の経験が国際貢献にも引き継がれている。

 幸か不幸か、日本は途上国への宣教の経験がありません。だから現地人の中に入って、企業が戦後現場主義でボトムアップで成長してきたように、「カイゼン」を進める。上からの命令じゃなくて、現場でトライ&エラーを続けながら、成果を出していく。

 日本の国際貢献の方法論がボトムアップの現場主義であること、「目立たない」からこそ、実は継続的な成果を上げていること。この2点を頭に入れて眺めると、日本の援助の見え方がずいぶん変わってくるはずです。

ーー 日本の国際貢献が実は機能していることはよく分かりました。けれどもこれだけ不況が続いて、企業も市民も苦しいと漏らしているとなると、もはや日本が改めて他国を救う余力なんかないのではないか、という意見も出てきます。

池上 日本の景気はたしかにずっと低迷していますし、個人の生活を圧迫し続けるのもよく分かります。でも、アフリカなどで貧困に苦しむ人たちに比べれば、相対的には、まだましな状態のはずです。

 いまの日本があるのも、国際貢献のおかげなんです。第二次世界大戦の後、焦土と化し、餓死寸前だった日本人の多くは、1947年から51年まで続いた「ガリオア・エロア」という2つの食糧援助によって生き延びました。さらに、世界銀行の資金援助があったからこそ、高度経済成長への基礎を築けたんです。

 国際貢献によって立ち直った日本は、今度はアジアに対して継続的な国際貢献をしてきました。道路を作ったり、橋をかけたり、インフラ整備を進めたわけですね。これが一時は「ばらまき援助」といわれたものですが、実はこのとき日本が施したインフラの整備によって、東アジアの経済の離陸スピードが間違いなく速まりました。

 それが「東アジアの奇跡」と呼ばれる経済発展として結実します。アジアは急激に成長し、いまでは生産拠点としても市場としても日本を支えています。 2009年の日本の輸出額のうち、54.1%をアジア向けが占めています。つまり、日本の援助はアジアの経済発展を促すとともに、日本のアジア進出を支える基盤ともなったのです。国際貢献が日本とアジアにウィンウィンの関係をもたらしたわけです。

 では、21世紀、改めて日本が支援すべき国や地域はどこでしょうか。それは、アフリカ諸国であり、西南アジア、中南米です。これまで日本には縁遠い地域でしたがこれからは違います。BOP(ベース・オブ・ピラミッド)という言葉はご存知ですね。

ーー はい。年収3000ドル未満の、経済的に恵まれない途上国の低所得者層のことですね。40億人前後いるという試算もあります。

池上 これまで「市場」としては無視されてきたBOPが急激に購買力をつけ、まさにBOP市場として成長しようとしています。一説によると500兆円以上の潜在規模を誇るとも言われていますね。

 さらにこうした途上国も含め、環境をキーワードにインフラの再編も各地で起きています。かつて国際貢献でアジア諸国の経済成長を促し、日本の経済にも結果として恩恵をもたらしたように、今後はこれまで日本とは縁の薄かったアフリカをはじめとする途上国との関係の構築が、日本の生き残りのためにも重要になってくるはずなのです。

ーー 次回は、こうした途上国のBOP市場と国際貢献とのかかわりについてお伺いしたいと思います。

(次回につづく)

2010年11月4日木曜日

火曜日の日記

11月2日火曜日。


仕事後に一度着替えて、

マイメンAJと迎賓館前のTokyo Designers week会場へ。


毎年行っているが、今年もサックリと会場を一周。



今年気になったのは、新興自転車メーカーの出展。

異業種のブースがランダムに並んでいる中で、

自転車系だけが軒を連ねて出展していたので目立った。



自転車ブームが新たな細胞分裂を始めて、

アートフィールドに進出し始めたこと。

日本人って、こうやって独自のクリエイションが始まると面白いモノ作るから、

個人的にはあまり興味ないんですが、ちょっと注目です。



次に有楽町に移動して、M-Tと合流してガード下で腹ごしらえ後、

終電近くに新木場agehaにて開催のBody & Soulへ。



滅多にクラブで遊ばなくなったが、

久々に体にムチ打って遊びに行くと、

気持ちが若返って良い。

Francois Kの音だけが進化してて、他の2人は相変わらずのオヤジハウスだが、

箱で聴く音楽はやっぱり格別。



5時を過ぎて有楽町線にて帰宅を試みるも、

夜更かし及び多量のガソリン補給(飲酒。)によって力尽き、

電車を派手に乗り過ごした。


新木場から埼玉のどこかまで向かい、折り返し、

有楽町線に乗っていたはずが気付けば副都心線に変わっており、

飯田橋まで乗り換え無しの20分で帰宅できるところが、

3時間かけての帰宅となった。



若作りの代償は大きく、

治りかけの風邪が悪化し、

3日文化の日は、せっかくの秋晴れの休日にも拘らず、

恨めしそうに外を眺めて過ごす1日となった。